色見屋さん

日々のこと
この記事は約5分で読めます。

もともと左目の視力がなく、18歳の時に、視力がないほうの目でオーラが見えることに気がついた。だけど、自分のオーラはどうやっても見えないという、漫画のような人がこの世の中にいると知りました。

きっかけは、
知り合いの社長さんが人を採用するときに、応募者の写真を見てもらっていると、偶然知ったこと。
色見屋さんの見立てで、最終面接の結果がひっくり返っていました。
「えっ?! 自分で面接して決めたのに、なんでわざわざ?!」と興味を持ちました。

その社長さんに、色見屋さんの話をイロイロうかがって、
その後、私も色見屋さんに学校の集合写真を見てもらいました。
そこに写る人たちの関係性を見事に言い当てられて、ビックリ😲😲

それ以来、色見屋さんの関西出張に合わせて、見てもらったりしています。

今回の気づきは・・・!
自戒を込めて、めも。(別にこの内容を色見屋さんに言われたわけじゃないんだけど、結果として)

ちゃんと寝る。
寝ているときに、脳はお掃除されている。
寝る = 脳を大切にしている。
寝る時間を確保するように、時間を有効に使う。
ダラダラ、スマホとかネットとか見ない。時間は有限。
時間 = 命
大切に使おう

時間を有効に使う。
やるべきことから逃げて、他のことをしたりする時間はない。
私は自分の時間の使い方が、ダラダラと無駄になっている。
時間 = 命
本当にしたいこと、目標ができたら、そんな無駄な使い方をしない。
自分のするべきことに集中できるし、いろんなことが気にならないはず。

まず自分が幸せになる。
自分があふれるほど幸せになってはじめて、他の人に分けてあげることができる。

幸せとは、心の奥底で自分のことをどう評価しているか。
お金がある・なし、仕事ができる・できない、立場が上・下、そんなことは関係ない。

事実そのもの(年収、肩書き、能力)より
その事実を自分がどう受け止めているか が幸福感に強く影響する。

誰が勝つとか、上とか下とか、自分の評価とか、そんなのを気にしないのが仲間。

役割や得意不得意が違っても、人としての価値に上下はつけない
誰かだけが無理をしすぎたり、誰かだけが得をしすぎたりしないように調整する
⇒平等というより、“対等”を守る感覚

「この人といると得か?」でつながらない
「役に立つから一緒にいる」ではなく「あなたという存在があるから一緒にいる」のが仲間

残念ながら、そんな人はめったにいない。様子見は必ず必要。
仕事の人間関係は、友達ではない。必要以上に深く入らない。

どんな人にも不幸のタイミングはある。
しかしだからと言って、マイナスを他人になすりつけて良いということにはならない。
回復する目的がない人は、1度、マイナスを受け取ると、無限に渡してくる。
受け取れないというと、受け取れないことを恨まれる。
不幸な人の力になりたいと、思わないこと。

不幸な人は、どこに上がりたいのか見えていない。一緒に不幸になってくれる人を探している。
一緒に不幸になったら、その不幸な人は安心したくて、相手が自分より沈むことを願う。
それは相手の幸せなポジションを奪うことだという人もいる。

特にこの最後の部分なんだけど

「不幸な人の力になりたいと、思わないこと。」の意味

「不幸そのもの」と「不幸の扱い方」は別

どんな人にも不幸のタイミングはある。
病気、失業、失恋、孤独、老いなど、誰でも苦しい時期があります。

しかしだからと言って、マイナスを他人になすりつけて良いということにはならない。

健全
苦しい → 相談する
苦しい → 助けを求める

不健全
苦しい → 八つ当たりする
苦しい → 他人を罪悪感で縛る
苦しい → 相手のエネルギーを吸う

回復する目的がない人 とは?

「苦しんでいる人」ではなく、苦しみから抜ける意思がない人

苦しみから抜ける意思がない人
●解決策を出しても全部否定する
●毎回同じ問題を繰り返す
●状況改善より「被害者でいること」に執着する ●助けてもらうことが目的化している

苦しんでいることで、生まれる利益
●注目される
●守られる
●責任を免れる
●孤独を回避できる

こちらが毎回、共感する、整理する、落ち着かせる、受け止めるなどをすると、相手は一時的に安定する。でも根っこは変わらない。

マイナスを「無限に渡してくる」とは?

これは境界線(バウンダリー)が弱い関係で起こりやすいです。

終わりのない感情処理の要求をされること。
例えば
●夜中に何度も連絡
●毎回重い相談
●解決しない愚痴の反復
●助けても感謝より依存が増える

こちらが「もう受け止められない」と言うと
●見捨てられた
●冷たい
●裏切られた
と感じることがあります。

「一緒に不幸になってくれる人を探している」とは?

人は孤独な苦しみに耐えにくい。
だから時に
「理解してほしい」
を超えて
「同じ温度で沈んでほしい」
になることがあります。
これは共感の要求が極端化した状態です。

例えば
●前向きな話を嫌がる
●あなただけ幸せなのが許せない
●足を引っ張る
●挑戦を止める
こういう形になることがあります。

「相手が自分より沈むことを願う」とは?

苦しい人が
「自分だけじゃない」
と感じることで安心する。
さらに
「自分より下がいる」
と感じると一時的に安堵する。

これは回復ではなく、一時的な麻酔です。

結論

●助ける → 相手が回復に向かう
●巻き込まれる → 一緒に沈む
その人自身が向き合わない限り
解決しにくい問題に付き合うのは
その人の不安定さを維持することにもなる
それは相手の成長に役立つのか?

助けることと、巻き込まれることは違う。
●境界線を引けるか
●距離を取れるか
●「助ける範囲」を決められるか
感情の受け皿だけにならない。
相手の自己観察に戻す
⇒「大変だったね。で、今回はどうしたい?」

・・・それで気が付いたんだけど、私は境界線が弱いんだよね。
そして、私は妹を自殺で亡くしているということが、私の不幸な人とのかかわり方に関係あるのかな?と気が付いた。妹は、不幸な人だった気がする・・・